「波佐見焼」という陶器がとても人気です。
長崎県北部にある波佐見町で作られているのですが、ほんの20年前には「波佐見焼」という名前すらなかったそうです。
そんな波佐見焼を人気陶器にまで押し上げたのが西海陶器株式会社!
その西海陶器株式会社の2代目社長を務め、現在は会長職にあるのが児玉盛介さんです。
5月11日の『カンブリア宮殿』にも出演され、波佐見焼を人気にした手腕に注目が集まっています。
そんな児玉盛介さんはどんな経歴をお持ちなんでしょうか?
詳しく解説していきますね!
児玉盛介の経歴プロフィール!

主なプロフィールなどをまとめていきます。
【主なプロフィール】
・誕生:1949年(73〜74歳)
・出身地:長崎県東彼杵郡波佐見町
(※年齢は記事執筆時点の数値)
【主な経歴】
・1986年に西海陶器の2代目社長に就任
・元々、波佐見町では『有田焼』の下請け製造をしていた
・2003年ごろ、牛肉問題をきっかけに全国的な『地域ブランドの明確化』が進む
・その影響で『有田焼』の名前を使えなくなる
・独自ブランドの『波佐見焼』として陶器を売ることを決意
・百貨店などで『波佐見焼フェア』を開催
・東京ドームの『テーブルウェア・フェスティバル』に出店
・その時、総合プロデューサーの今田功に注目される
・波佐見焼の『ライフスタイルに合わせて柔軟に変化できる』という強みを全面に押し出す
・日用食器部門の国内シェア2位を獲得
・シンガポールにはじめての海外進出
・現在は西海陶器の会長を務める
はじめは有名な有田焼を製造していて、波佐見焼という名前すらなかったんですね。
そこで牛肉問題をきっかけに、波佐見で作る陶器を有田焼として売れない状況に…!
これは正直かなりの大ピンチです。
普通の人だったら、ここで心が折れてしまうでしょう。
しかし児玉盛介さんは違い、自分たちオリジナルの波佐見焼として再スタートすることになります。
このバイタリティはすごいですよね!
そこから試行錯誤を続けるなかで、東京ドームでのイベントが大きな転機になったのだとか。
イベントの総合プロデューサーである今田さんに認められ、波佐見焼の将来性に自信を持てたそうです。
やはり成功する人は常に努力しているので、大切な人との出会いをつかむ準備ができているように思います。
あきらめない行動が最高の出会いを作り、それが波佐見焼の躍進に繋がったみたいですね!
児玉盛介の家族(息子)も優秀すぎる!

そんな児玉盛介さんですが、息子さんも優秀すぎるんです。
息子さんのプロフィールがこちら!
【主なプロフィール】
・名前:児玉賢太郎
・誕生:1983年(39〜40歳)
・出身地:長崎県東彼杵郡波佐見町
・学歴:長崎日大高校→日本大学→アメリカ留学
・現職:西海陶器株式会社代表取締役社長
(※年齢は記事執筆時点の数値)
【主な経歴】
・幼稚園から『将来の夢は西海陶器社長』とアルバムに書いていた
・2009年に西海陶器に入社
・中国支社の立ち上げに携わる
・日本に帰国し、東京の会社を立て直す
・2016年に西海陶器の社長就任(3代目)
・海外に会社を設立(アメリカ・オランダなど)
・2016年に東京西海株式会社を立ち上げる
児玉賢太郎さんは父親を継ぐだけでなく、波佐見焼をより世界に広めることに注力されているようです。
特に波佐見焼のブランド力の向上を目指しており、『東京西海株式会社』はそのために立ち上げたみたいですね。
児玉盛介さんが立ち上げた波佐見焼を、息子の賢太郎さんが広めていく理想的な流れ。
本当に親子で最高のリレーができてますよね!
児玉盛介の年収は!?

波佐見焼を世界的ブランドにまで育てた児玉盛介さん。
一体どれほどの年収なんでしょうか??
さすがに具体的な数値はわかりませんでしたが、一般的な役員報酬の相場データを見つけたので紹介します。
労務行政研究所が2020年に調査したところ、従業員300人未満の企業における役員報酬の相場は『3,334万円』とありました。
西海陶器株式会社の従業員は300人以下のようなので、役員報酬も上記の金額に近いかもしれません。
ただ、現在は会長ですし、西海陶器株式会社も従業員の規模以上に大きな影響力があると思います。
そういった部分を考慮すると、もっと高収入の可能性もありそうですね。
まとめ

今回は波佐見焼を手がけた児玉盛介さんについて書いてきました。
経歴を見ると厳しい状況もあったようですが、波佐見焼は今や世界に誇るブランドになっています。
まさに児玉盛介さんと、息子である賢太郎さんの努力の賜物といえますね。
今後も波佐見焼は人々の生活を彩ってくれることでしょう!